だれもが何度でも平等にチャレンジできる場所をつくりたい 就労部門統括責任者・湯田愛海さんインタビュー

悠久会で働く職員が、仕事のやりがいや実際の体験談を語る本企画。今回話を伺ったのは、就労支援事業に携わる湯田愛海さん。調理員として入社した湯田さんが、なぜ就労支援に関わるようになったのか。悠久会でどのような働き方をしているか聞いた。

入社のきっかけは「時短勤務で料理に関われるから」

「短大時代に付き合っていた年上の彼氏がいたんです。その彼氏を追いかけて、地元の島原に戻ってきました。若気の至り、といいますか」
そう笑って話すのは、悠久会で就労支援事業に携わっている湯田さんだ。プライベートでは5人の子どもを育てる母としての一面をもつ。
湯田さんは福岡県の短期大学で食物栄養学を学び、栄養士の資格を取得した。悠久会(当時は銀の星学園)に入社したのは社会人3年目のころだ。当時の湯田さんは、出産を機に新卒で勤めていた会社を退職し、専業主婦として子育てに励んでいた。
「また働こうと決めたのは、専業主婦として家にずっといることに疲れてしまったからです。なんだか社会とのつながりがなくなったような気がして。それで外に出るために時短勤務で料理に関われる仕事を探してハローワークに通いました。当時は育児の合間に働けることが優先事項で、申し訳ないのですが、悠久会の取り組みや福祉業界には興味がありませんでした」

入社時の職種は調理員だった。40人分の食事をひとりでつくる仕事だ。ひとりだけの部署だったため裁量の大きい仕事を任せてもらっており、やりがいを感じていた。
「調理員としての仕事が終わってから子どもを保育園に迎えに行くまでの手が空いている時間に周りのスタッフを手伝っていました。このとき手伝っていたのが、就労支援施設の作業だったんです。当時は施設でジャムの加工に取り組んでいたので、障がいのある利用者さんたちと一緒にジャムの下処理をしたり箱を組み立てたりしていました。悠久会に入社する前に新卒で働いていた施設は医療型障害児入所施設だったのですが、利用者さんと関わる機会はいっさいなし。わたしにとっては利用者さんと触れあう初めての機会でした。生い立ちや家庭環境など、利用者さんによってこれまでの人生の背景はさまざまです。なかには、障がいがあることでつらい環境での生活を余儀なくされた人もいます。たくさん時間をかけて話を聞いていくと、わたしが社会のなかで見えていなかった課題がわかってきたような気がして、ハッとしました」

感じた栄養士としての限界、企画を立ち上げ新たな職種へ

その後、3人目と4人目の子どもを出産し、育児休暇から復帰した湯田さん。悠久会の障がい者支援施設「明けの星寮」に異動となった。ただ、ここで栄養士としての限界を感じてしまったという。
「明けの星寮での仕事は、自分が包丁をもつことではなく、栄養バランスのとれた献立を考えることでした。ただ、わたしが365日どれだけ栄養バランスが取れた献立を考えても、みんなまったく同じメニューを食べているはずなのに、肥満や糖尿病になるひとはいる。では、わたしの仕事はだれの役に立っているのだろう、と考えるようになりました」

そのとき目に入ったのが、悠久会創立50周年を記念して社内で募集されていた、就労支援事業の企画コンテストだった。
「理事長から出されていたテーマは『利用者さんと地域の両方が元気になるような企画』です。栄養士としての限界を感じていたわたしは、さっそく企画を考えはじめます。資格をいかして食べ物を使った事業企画をつくろうと、最初はお弁当を候補に挙げました。しかし業務量や経費の面から現実的ではなかった。そこで思いついたのが、おむすびです。おむすびであれば製造工程をシンプルにできるため、利用者さんが作業に参加しやすい。中身の具材に地域の食材を活用すれば、地域のPRや活性化につながります。おむすびで地域と事業所をむすぶ。そんな事業になってほしいと願いを込めて『むすびす』と名前をつけ、企画を提出しました」

社内選考の結果、湯田さんの企画は採用となり、オープンに向けた準備が始まる。しかし課題は山積みだった。
「立ち上げメンバーはわたしを含めて2人だけでした。しかし、新規で就労支援の事業所を立ち上げることになるので、自治体から認可を得るための書類の準備、補助金の申請など、膨大な手続きが必要です。社内からは『実現は難しいのではないか』とうわさされていたのを覚えています。また、自分がいなくてもお店がまわるように店長候補の採用と研修も進めなければなりません。体力的に非常に大変でした。とにかくがむしゃらに、オープンに向けて目の前の仕事と必死に向き合いました。
お店がオープンして、利用者さんたちと地域の交流が生まれているのをみると、頑張ってきてよかったなと心から感じます。『むすびす』の立ち上げが完了したあと、就労支援事業部への異動を上司にお願いしました。本格的に就労支援に関わって利用者さんの役に立ちたいと考えたからです」

「人を直接介護する以外にも、福祉の役に立てる仕事はたくさんある」

「わたしは若いころたくさんの『できない』を経験してきました。それでも多くの人に支えてもらって、いまがある。だからこそ調理員として働いていたとき、利用者さんの生い立ちを聞いて胸が苦しくなることがありました。きっと、利用者さんは障がい者として社会からグループ分けされることで「あなたにはきっと難しい」と、たくさんの「諦める」を経験しています。現在の「障がい者」をみる視線は、あまりに偏った見方ではないでしょうか。
わたしは何歳でも、障がいがあっても、平等にチャレンジできる場所をつくりたいと考えています。健常者と障がい者のあいだにある濃淡を和らげたい。そして、その思いを引き継いでくれる人を育てたい。そうすれば、障がいがあってもなくても、みんなが暮らしやすくなります」

栄養士から就労支援スタッフへとキャリアを変化させてきた湯田さんは現在、4か所ほどある就労支援施設を束ねる「就労部門統括責任者」として働いている。
「利用者さんが次の希望を持ってくれている瞬間を感じるとうれしいです。たとえば『あしたやりたいこと』のようにささいなことでもいい。あるいは『結婚したい』と将来の夢を語ってくれてもいい。これがやりたいと、感情が前に動いている瞬間は何度みてもぐっときます。
『ありがとう』と直接言われることは少ないかもしれません。それでも、就労支援の側面から利用者さんを支えていきたいです。人を直接介護する以外にも、福祉の役に立てる仕事はたくさんありますから」

Sustainable Development Goals

悠久会は、持続可能な開発目標(SDGs)を推進しています。